私たちのお伝えしたいこと 江戸期 三井屋について
『平兵衛かしや』の文字がある三井屋 『和歌山市史』第5巻P227の記述。
弊社先祖の墓石群 側面の年号刻字はすべて江戸時代の元号。正面の主墓 夫婦連名戒名の墓の土台石に屋号「三井屋」の刻字
【油問屋経営の環境】 ★江戸時代 明和期に商業システムが発展 弊社先祖の墓石も明和期より並ぶ。。
菩提寺のある紀三井寺の三井 と思われる。紀三井寺のHPでは以下の記述:紀州にある、三つの井戸のあるお寺。紀三井寺は、日本名水百選「三井水」を抜きにして語れません。 1250年の寺名の由来ともなった三井水は今も名草山の懐に抱かれ、滾々と絶えることなく湧き出しています。
【過去帳に「三井屋」の屋号も記載されている】 代が替りはしたが過去帳は時系列にほぼ現存。三井屋は『三井屋』と『三ツ井屋』住所 若山は『和歌山』町名は 南桶屋町南桶屋町は地子免除地である商人町である。
商店名も『三井屋平兵衛』がブランド名的に継続したと思われる。 丁稚の時は平助、出世の度 平蔵など。社長職は平兵衛と名乗ったらしい。
天保年間に作られた紀州藩の商家の番付表。徳川頼宣公が和歌山へ入封した際、従ってきた和菓子の老舗:紀州藩の御用菓子司 駿河屋さんは行司に記載されています。
浅野家そして御三家として徳川頼宣公が紀州に入って お城を中心として街づくりが進みます。 紀ノ川は天然の外堀として機能しました。和歌山城北部 今の本町界隈南桶屋町 弊社ご先祖の菩提寺過去帳に載っています。今も商人、職人の町名が多く残っています。 内町地区は印章店創業の元寺町(浅野家関連寺)も同地区。現在の会社 雑賀町も同地区内です。
紀陽持丸鏡 商家番付 『和歌山市史』第5巻 巻頭資料。